修学旅行
「修学旅行が楽しかったと答えるのは、学校生活を楽しんでいた者の回答である」
それは一つの真実ではあるけれど、全てを表すわけではないでしょう。
修学旅行と聞いて、真っ先に思い出すのは高校の修学旅行です。
いままでの人生で一番最後の、いわば直近の修学旅行の行き先が広島でした。
小学校、中学校と修学旅行を経験してきたけれど、やはり鮮明に記憶に残っているのは、高校生のときのそれです。
それ以前に比べて青春の度合いは深くなり、好きな女の子のことも色々な意味で現実味を増してくる年頃です。
旅先で何もなかったとしても、それさえも記憶には刻まれていく時期です。
伏線回収
修学旅行に行ってよかったか?と問われれば、答えは「よかった」の一択です。
冒頭でも書いた通り、学校生活を楽しんでいたのかも知れません。
だいたいのことは渦中にいると、その事実に気がつきにくいものです。
少し(いや、だいぶ)時間が経った今となっては、それは間違いなく楽しい時間、少なくとも意味のある時間だったと確信できます。
歳を重ねていくごとに「再訪ができる」ことの価値があがり、過去の行いが全て伏線のような気がしてきます。
それは、なんでもなかったことに意味を見出せるようになることだし、再訪とは伏線を回収するための行いでもあります。
これができるようになることが歳をとることの最大の醍醐味です。
小学生や中学生や高校生の感性で見た街を大人になってから再訪してみると、そこでは街の変化以上に自分自身の変化に気がつきます。
懐かしさは常に今の自分との対比から感じるものなのかも知れません。
仕掛けが必要
その中で、高校生で訪れた広島だけは、まだ再訪できていませんでした。
そんな広島に行く機会がこの夏に巡ってきました。
友人がこの春から広島に転勤となり、それを知って今まで燻ってきた広島への思いに、もう一度火が灯りました。
広島に何か特別な想いがあるかといえば「修学旅行で行ったことがある」それだけといえばそれだけです。
そうなのであれば、もう少し何か仕掛けが必要です。
同じホテルに泊まる
思いついた仕掛けその一は、修学旅行で泊まった同じホテルに泊まること。
我ながらエモいことを思いつくなと感心します。三十数年前の記憶の答え合わせです。
ネットで探したらすぐにみつかったと友人に伝えると、修学旅行で泊まったホテルを憶えていること自体ががすごいと言われました。
自分でもそう思うけれど、少し変わった名前のビジネスホテルで、なんとなく検索していたらすぐに出てきました。
さらにもう少し調べると、そのホテルは建ってから四十年以上経つこともわかり、もうそれでビンゴです。
でも実際に泊まってみると、ああ、確かにこんな感じだったとは思ったけれど、それ以外に当時の記憶はほとんどなく、懐かしさは微塵も感じることができませんでした。
それでも、ここが三十数年前にも泊まったホテルだと思えば、当時の修学旅行のいくつかの記憶も蘇ってきます。
三度目の正直
二つ目の仕掛けは、日本三景である安芸の宮島に行くこと。
修学旅行当時、厳島神社は台風の影響で鳥居が破損し、見学することができませんでした。
さらに、実は今回の広島旅行は台風の影響で一度延期をしていました。したがって、これが三度目の正直です。
三十年越しの希望を叶えた瞬間です。
呉の海
そしてもう一つ。広島の地図を眺めていたときに呉という地名が目に止まりました。
ここで思い出したのは祖父のことです。当時16歳で呉で終戦を迎えたと聞いたことがあったからです。
生前の祖父は、海軍の訓練を受けながら呉で過ごしていた日々の思い出を何度か話してくれました。
自分が生まれる三十数年前のことです。
祖父が見たであろう呉の海を見てみたい。もうこれは想像の中の答え合わせでしかないけれど、祖先の記憶に触れる良い機会です。
三十年前の出来事
修学旅行で広島を訪れたのは三十数年前です。
今年50歳になった自分から振り返ると三十年前はそこまで大昔ではありません。記憶は薄れつつあるけれど、思い出せない過去でもありません。
年齢を重ねることで時間の感覚が伸びていくことは誰しもが感じることでしょう。
そこであることに気がつきました。自分が生まれた1974年の三十年前は1944年。
完全に戦争の真っ直中です。
そう考えたときに祖父が語っていた戦争をリアルに感じとることができました。
現在から三十数年前の修学旅行の思い出を辿る距離感で、生まれた1974年は戦争の記憶を辿ることができる。
そう気がついた時に大きな衝撃を受けました。
昨日ときょう。きょうと明日。それぞれがつながっている感じ。
これは日々の生活の中でとても意識していることです。
それをもう少し長い距離感で感じることができるようになると、見える世界が少し変わるような気がします。
そろそろ伏線を回収する時期になってきたのかもな…とぼんやり考えながら帰路につきました。
きょうも、そらのいろを思い出せる1日に
使用機材
歩き旅には小さいカメラは正義です。
コメント